ペンネーム NAGAO
今回も前回に続き、「長尾為景能登国渡来説」についての【根拠②】です。
~能登との繋がる必要性・理由【根拠②】~
「為景は晴景を支え、陰(能登?)から指示していた」という可能性についてですが、能登で越後の現状を知り、支持を出しやすかったことには理由があります。
同盟関係にあったことも理由の一つでしょうが、裏切りや騙し合いが常であった戦国時代において、その理由だけでは弱い気もします。
では他に、より強い理由はあったのか?と考えたとき、最も納得する答えは「利害関係の一致」です。
そのことについて、少し角度を変えて調べてみました。
能登と越後が繋がる可能性は、中世の貿易に関する記録でも確認出来ます。
例えば、京都から東北へ海路で北上する際は、必ず能登(輪島)と越後(佐渡)に寄港するため、両国の船はいざこざがあると、船を相手の国で止められ進めなかったといいます。
能登畠山家は出羽(現在の山形県と秋田県、ただし、鹿角市と鹿角郡小坂町は除く)へ船を進める場合、越後上杉(長尾)家は京都へ船を進める場合、能登・越後が険悪だとスムーズにいかず、それぞれの商人は非常に困ったといいます。
また、京都の商人も非常にそのことに対して心配したという資料が残されているそうです。
さらに重要なことは、越後の物資は能登を通らないと京都に輸送できないというのが歴史的事実です。
越後の特産品の青苧(“あおそ”と読み、苧麻の皮から採った繊維で、これを糸にして布にする越後の特産品であり、主要な輸出品である。)は、能登と対立すると京都に輸送できなくなり、利益を得る事ができなくなります。
つまり、越後は常に能登と良好な関係を保つ必要性があり、それゆえ、中世における越後上杉(長尾)家と能登畠山家の強固な同盟関係に発展していった…というのが能登国史研究の専門家の結論の様です。
そして、「支持を出しやすかった理由」についてですが、当時の貿易船は今でいう郵便配達の様な性質も合わせ持っており、貿易ルートが確立していた能登と越後間であるなら、為景も晴景に文書で※指示を伝え易かったのでは?
※因みに、文書(手紙)で指示?と現代人はピンとこないでしょうが、電話もメールもない時代においての手紙(情報)はとても重要で、ある意味命より価値のあるものでした。
文書でのやりとりが当時当たり前であったことは、大河ドラマなどでも何となく分かると思います。
あくまで推理、可能性の域を出ないかもしれませんが、以上が【根拠】①・②です。
ですが、十分理由にはなりえると思います。
私個人だけで限界まで調べた結果ですが、約450年も前の話ですので何ともいえない部分もあります。
因みに、色々な場所や調査依頼を公的に頼んだりしてみましたが、私が一般人だと思ってか、かなり軽く扱われた気がします。
無知、無関心で非協力的な人が資料館や寺などを管理しているので、正直、腹が立ったことも多々ありました。
『町野村志』には、能登にあるという「為景の墓」についての場所の記録も書かれていましたが、抽象的すぎて私一人では到底探し出せません。
基になっているという古文書などを見つけることが出来るなら、解明できるかもしれないヒントがまだまだあるような気がします…
現在、能登は町おこしに力を入れている様ですが、能登には興味深い歴史がまだまだ眠っています。
珠洲の塩や輪島の千枚田はともかく、能登丼だとかUFOに力を入れる前に、もっと公的に歴史についての調査をし、PRをしてほしいです。
漠然とですが、石川県民はあまりに能登の歴史について興味がないように感じます。
やたらと「加賀百万石」「金沢城」を推してばかりで、ミーハー感丸出しみたいな…能登の歴史はこのまま風化し、すたれていく気がします。
能登畠山家の「七尾城」も、日本五大山城のひとつに数えられるほどの名城なのに、実際行ってみると、何となく適当に管理されているようなチープさを感じました。
あくまで個人的な意見ですが(一応言い訳しとこう…)。
以上、能登長尾家のルーツについてのお話でした。
現在でも奥能登には、長尾家が基になっている地名が幾つか確認できます。
「鳳珠郡能登町内浦長尾」・「鳳珠郡能登町上長尾柳田村(明治22年までは、この辺りに長尾村が存在しました。)」などです。
本当は上記地名の由来から、明治、大正、昭和、現在につながる記録まで調査しましたが、ここから先まで書くと単なる自己満足でしかないように思うのでここまでにします。
というか、現時点で自己満足のつまらん話になっとるな…
【完】
《参考文献》
●『石川県鳳至郡誌』大村重松 明治印刷株式會社 大正12年発行
●『町野村志』江尻寅次郎 石川県鳳至郡町野村 町野史談會 大正15年発行
●『七尾城の歴史』片岡樹裏人 七尾城の歴史刊行会 昭和43年発行
●「畠山義綱考」『国史学』88号 東四柳史明 昭和47年発行
●「遊行上人のみた越中永正の乱」『かんとりい』4号 久保尚文 昭和48年発行
●『能都町史第一巻』編集 能都町史編集専門委員会 昭和55年発行
●『越中中世史の研究』久保尚文 桂書房 昭和58年発行
●「能登弘治内乱の基礎的考察」『国史学』122号 東四柳史明 昭和59年発行
●『戦国武将と茶の湯』米原正義 淡交社 昭和61年発行
●『北陸社会の歴史的展開』高沢裕一他 桂書房 平成4年発行
●『日本海世界と北陸』神奈川大学常民文化研究所編 中央公論社 平成7年発行
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