ゆうきの日記20
自身の緊張感が失われつつある気がする。慣れたのか、なめてるのか、どちらでもないのか。よくわからない。作業に取り組む姿勢や、通所前の行動パターンなどは、大きく変わってはいない。作業には積極的かつ誠実に取り組んでいるつもりだし、通所前もちょっと出かけたり読書したりするだけ。早寝早起き、適当な食生活。滞りなく行えている。
もしかしたら、規則正しい生活リズムを刻めるようになれたのかもしれないし、そして、そのおかげで抵抗なく通所できているのかもしれない。どちらも、取得できているのだとしたら、喜ばしい限りだ。疾病上、睡眠と食生活は正しておかなければならないし、それができているから、何の問題もないのかもしれない。
「かもしれない」と、思えることすら上々なのだろう。つい何か月前は入院していたのだから。回復ぶりは親が一番喜んでいるし、自分としても「よかったなぁ」と思える。たまに幻聴が聞こえることはある。そうとうにネガティブな精神状態の時に、誰かの発言が、その時々で一番言われたくない言葉に脳内変換されて脳に直接訴えかけてくる。こんな厄介な疾病もそうないだろう。しかし、ゆえに「かもしれない」だけで、とても嬉しくなる。
問題なく通所できているからこそ、皆勤でも疲れはあまりないし、生活リズムも「正そう」と思える。適当な言葉としては、「張り合いがある」のだと思う。「ひまわり」があるからこそ「まっとうであらねば」と思えるし、思えるから通所できる。良い循環だと思う。
前衛的に、適度に、頑張っていきたい。
ゆうき
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